2011年3月9日水曜日

facebookはポートフォリオになり得るだろうか?

ソーシャルネットワークというか、facebookはどういう方向に進むのだろうか。

コミュニティ形成や情報交換がより容易になり、いろいろな活動が可能になったり、それを活性化できるということは既に証明されていると思う。一方で、facebookは個人の履歴書のような役割になっていきつつあるようにも思う。将来、facebookにアカウントを持って個人情報の公開(ただし排他的な公開)をすることが、社会活動において有利になる状況がくるのだろうと思う。社会活動において有利とは、地域や特定分野のコミュニティ活動だけでなくもっと一般的な仕事においてもということでもある。例えば、仕事で名刺交換をしたあと、その交換相手に一定レベルの個人情報を公開する設定しておけば、お互いのポートフォリオを交換できる。あるいは一方的に提供または取得でもよい。ポートフォリオは自分の公開したい範囲で公開できるようになるだろう。例えば、仕事相手に自分の個人的に興味を持っていることや、それに関連した活動を知ってもらうことによって、新しい機会を生み出すこともあるだろう。もちろん、逆の場合もあり、人間関係としてはマイナスに働く場合もある。しかし、人によってはそのマイナスもメリットとなることもあるだろう。

もちろん、そこの書かれていることが必ずしも事実とは限らないという可能性はある。だから、読み取る側のリテラシーが必要になる。僕はfacebook上では事実と虚飾は意外と容易に見分けられるようになるのではないかと想像している。なぜなら個人の情報発信であった従来のブログとは違い、facebookではそこに展開される人間の関係性の成果に注目できるからだ。

一方で、そのようなものを見通せるだけの公開性ということと、排他的にして公開できる情報を制限できることの間には確かに矛盾はある。これを何らかの技術的手法で解決できればすごいと思うし、多分facebookがこれほど注目されるのは、そのような問題を技術的に解決しようとその当初から試みてきたからではなかろうか。もっと言えば、その辺が従来のインターネット技術という側面を超える新しい何かなのだということだと思う。

話しを元にもどそう。誰もが表現者として作品を作ったり、あるいは作品があるにしてもそれをわざわざWEB上で公開する手間暇をかけられるわけではない。その個人にアクセスする側にとっても、その人の作った作品や成果の詳細をいちいちチェックすることはあまりないのではなかろうか。しかし、facebook上に表現されるものは、個人のポートフォリオとして、本人の意識するしないにかかわらず生成される何かであり、しかも履歴書には現れない何かになるように思う。そのようなポートフォリオのやりとりが行われる社会というものが将来やってくるのではないかと僕は想像するのだ。

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