アップル – スカリーとHyperCardの時代
The Daily Beast に "Why I Fired Steve Jobs" という記事(2010年6月6日付け)がある。1985年当時に、当時アップルのCEOだったスカリーがジョブスをアップルから追い出したことについてスカリー自身が語っているというものだ。
スカリーは、当時のことを後悔して、ジョブスをCEOにするべきだったとか、どうして追い出した後で呼び戻そうという考えが浮かばなかったのか自分でも分からないと述べている。会社の価値という点でアップルはマイクロソフトを追い抜いたとされている今に至っては、そう答えるしかなかったのかも知れない。
しかし、この記事にも書かれているが、当時のジョブスはとんでもない人間だったことは間違いないようだ。ジーパン姿で出社し、山羊のようなひげをして、異臭を放っていたという話しだ。もっとも、今でも身なりには頓着しない感じでWWDCのキーノートでのクロのタートルネックにジーパン姿というのは、いかにもCEOらしからぬバランスを欠いたような人間の身なりのように思える。逆に先進性というものは、そのようなバランスを欠いたところから生まれるのだともいえるのかもしれない。
ところで、僕がマッキントッシュというものを知って(確か「日経コンピュータ」か何かで知った)、どうしても使って見たくなって、当時のMacintosh Plus という機種を手に入れたのは、まさにスカリーがCEOだった時期で、その後、スカリーがやめてからは彼の自伝『オデッセイ』の日本語訳版を読んだほどだ。
MacPlusという機種は9インチの小さなモノクロブラウン管ディスプレイが一体になったダルマのような形のものだった。もちろん今のパソコンとは機能的には比較にならないしろものだが、秀逸だったのは無料でついてきたHyperCardというソフトウェアだ。これは一種のカード型データベースとペイントソフトを融合したような当時としてはユニークなソフトで、利用者はナビゲーションのボタンやテキストボックスやリストなどをカードの上に自由に配置してテンプレートを作って、データをカードで何枚でも蓄積していけるようになっている。カードの切り替えを早くすればアニメーションのようなもの作れた。実際、顧客管理カードのようなのもからレシピ集、またインタラクティブな絵本のようなものまで作ることができた。HyperScriptという開発用言語も搭載していて、文字処理などわりと複雑なこともできた。HyperCardを開発したのはビル・アトキンソンという大学では化学を専攻していたというアップルのエンジニアで、彼は当時CEOであったスカリーに、これをマックに無料でつけないなら自分は会社をやめると言って、その主張を通したという逸話がある。
僕はこのころはアップルはまだ先進的な企業だったと思う。むしろ、おかしくなって来たのはスカリーがやめてからだと感じている。1995年にWindows95が出てからはひどくなるばかり。CEOとなったスピンドラーもアメリオも、いかにもビジネスのやり手という顔をしている。いわゆる「バランスのとれた人たち」だ。しかし、彼らのやったことはハシゴをかけておいて、他人を上らせ、そうしておいてからハシゴをはずすようなことが多かったように思う。例えば、日本ではバンダイがアップルからOSのライセンスをうけてピピンというゲーム機を出したが、結局アップルはライセンス供給から撤退した。例えば、ニュートンというPDAをリリースし、デベロッパを募ったが、アップルはニュートンのプロジェクトを突然廃止した。例えば、OpenDocという先進的だが未完成の技術を宣伝し、デベロッパにもその関連製品の開発を強く促しておいてから、アップルはOpenDocもやめてしまった。あまりにもひどいので僕はアップルが大嫌いになった。
スカリーはジョブスを追い出した張本人ではあるけれど、スカリーとHyperCardの時代はそれなりに意味があったのではないかと思う。だから僕はスカリーに後悔などして欲しくはなかった。The Daily Beast の記事を見て、当時のことを思い起こすとともに、そのような感想を持った。
スカリーは、当時のことを後悔して、ジョブスをCEOにするべきだったとか、どうして追い出した後で呼び戻そうという考えが浮かばなかったのか自分でも分からないと述べている。会社の価値という点でアップルはマイクロソフトを追い抜いたとされている今に至っては、そう答えるしかなかったのかも知れない。
しかし、この記事にも書かれているが、当時のジョブスはとんでもない人間だったことは間違いないようだ。ジーパン姿で出社し、山羊のようなひげをして、異臭を放っていたという話しだ。もっとも、今でも身なりには頓着しない感じでWWDCのキーノートでのクロのタートルネックにジーパン姿というのは、いかにもCEOらしからぬバランスを欠いたような人間の身なりのように思える。逆に先進性というものは、そのようなバランスを欠いたところから生まれるのだともいえるのかもしれない。
ところで、僕がマッキントッシュというものを知って(確か「日経コンピュータ」か何かで知った)、どうしても使って見たくなって、当時のMacintosh Plus という機種を手に入れたのは、まさにスカリーがCEOだった時期で、その後、スカリーがやめてからは彼の自伝『オデッセイ』の日本語訳版を読んだほどだ。
MacPlusという機種は9インチの小さなモノクロブラウン管ディスプレイが一体になったダルマのような形のものだった。もちろん今のパソコンとは機能的には比較にならないしろものだが、秀逸だったのは無料でついてきたHyperCardというソフトウェアだ。これは一種のカード型データベースとペイントソフトを融合したような当時としてはユニークなソフトで、利用者はナビゲーションのボタンやテキストボックスやリストなどをカードの上に自由に配置してテンプレートを作って、データをカードで何枚でも蓄積していけるようになっている。カードの切り替えを早くすればアニメーションのようなもの作れた。実際、顧客管理カードのようなのもからレシピ集、またインタラクティブな絵本のようなものまで作ることができた。HyperScriptという開発用言語も搭載していて、文字処理などわりと複雑なこともできた。HyperCardを開発したのはビル・アトキンソンという大学では化学を専攻していたというアップルのエンジニアで、彼は当時CEOであったスカリーに、これをマックに無料でつけないなら自分は会社をやめると言って、その主張を通したという逸話がある。
僕はこのころはアップルはまだ先進的な企業だったと思う。むしろ、おかしくなって来たのはスカリーがやめてからだと感じている。1995年にWindows95が出てからはひどくなるばかり。CEOとなったスピンドラーもアメリオも、いかにもビジネスのやり手という顔をしている。いわゆる「バランスのとれた人たち」だ。しかし、彼らのやったことはハシゴをかけておいて、他人を上らせ、そうしておいてからハシゴをはずすようなことが多かったように思う。例えば、日本ではバンダイがアップルからOSのライセンスをうけてピピンというゲーム機を出したが、結局アップルはライセンス供給から撤退した。例えば、ニュートンというPDAをリリースし、デベロッパを募ったが、アップルはニュートンのプロジェクトを突然廃止した。例えば、OpenDocという先進的だが未完成の技術を宣伝し、デベロッパにもその関連製品の開発を強く促しておいてから、アップルはOpenDocもやめてしまった。あまりにもひどいので僕はアップルが大嫌いになった。
スカリーはジョブスを追い出した張本人ではあるけれど、スカリーとHyperCardの時代はそれなりに意味があったのではないかと思う。だから僕はスカリーに後悔などして欲しくはなかった。The Daily Beast の記事を見て、当時のことを思い起こすとともに、そのような感想を持った。
あー、搭載してたのはHyperScriptじゃなくて、HyperTalkですよ。AppleScriptとごっちゃになってますよ。
返信削除